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天気大荒れ、いや、気分が大荒れ。(02/20)  

毎日早起きしている気分だ。夜中にのどが痛くて目が覚めた。
ことしの花粉は大丈夫か。
とにかく仕事に穴を開けることだけはしたくないし、ベストな
コンディションで仕事に望みたい。でもこの時期はなかなか厳しい。
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我が子の笑顔に癒されつつ、午前中は雨という都内を移動だ。
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この時間は通勤電車である山手線で田町へ。
こんな格好をしているとどこかのサラリーマンだ。中身は全然違うが。
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とにかくきょうは早めにスタジオ着。
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弊社が今回ある会社から初めて受けた仕事だったが、
とにかく連絡がない。コーディネーションしている会社によると、
担当者がつかまらないらしい。しかし請けた仕事がどうなっているか
なぜ請け負った側が気を使って何度も予定の確認をしなければ
ならないのか。何かが間違っている。

連絡がない割りに、何日もキープで予定を押さえられたりして、
私は半分以上キレていた。一度はこの案件から「降りた」のだ。

ちなみに私が仕事を放り出すことは滅多に、というよりほとんどない。
それほど今回の仕事は酷いといっていいかもしれない。

しかも、収録数日前、今回の制作会社がナレーション収録が初めて
という話を前日に聞いた。これはまずい。ディレクター(役)も、あれこれ
指示は出すものの、いかんせん初めてなので結局どれが良いか
分からなくなって、現場が混乱するかもしれない。

スポンサーが来た日にゃ、スポンサーも勝手なことを言い出すし、
ディレクターもスポンサーには逆らえないから、収録時間がいくら
あっても足りないのは必至だ。。。

あー頭痛くなってきた。

というわけで、早めにスタジオに入って、レコーディングエンジニア氏
と名刺交換。そしてこう一言。

「今回の会社、収録初めてだそうですので、心配で早めに来ました」

これでエンジニア氏は全てを察してくれた。こでれディレクターが
中川元財務大臣並みに分けの分からない指示や発言をしても
恐らく平気なはずだ。

しっかしこんなの、本来ならコーディネートした会社の仕事だぞ。
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物件は、健康食品系のテレショップだった。15分ものを、リテイクや
原稿の直し込みで、1時間足らずで収録完了。
一度全て録り終えて、ディレクターが
「じゃ、もう一度はじめから録りましょうか」
ほーらきた。ありえない注文だ。

「え?なんで?何のために?」
じゃーオッケー出すなよ。もっと失礼なことも言われたが、
それは飲み込んでしまおう。。。

とにかく終った。健康食品ものは、いくら地方局であっても
何であっても、考査が結構厳しい。
私も地方局の局員時代、編成にいて、東京や大阪などから搬入
される健康食品などのテレショップの考査をする上司を見ていたら、
まるで重箱の隅をつつくようなものだったことを記憶している。
表現によっては「改稿」を要請する。そうすると、制作会社は再度、
録り直しを余儀なくされるのだ。

なんとか考査通過しろ。録り直しは勘弁だ。

早く終ったことで、事務所に入る時間が出来た。
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この後は朝日ニュースターで局アナだ。お腹になんか入れておこう。
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モスで限定販売中の「どげんかせんといけんサンド」ではなく
「チキン南蛮サンド」だ。
九州時代はほっかほっか亭のチキン南蛮弁当を良く食べたものだ。
それにしても東国原知事を前面に出した広告展開はさすがだ。
公人だから、ギャラも発生しないだろうし、芸人時代のネームバリュー
はあるし。すっかり政治家の東国原氏はさすがだと思う。

事務所で腹ごなし+事務仕事少々。さぁ、出かけよう。
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今はすっかり「マスクの人」だ。てくてく歩いて神宮前。
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雨は上がっているようだ。局到着。
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ニュースの仕込みにかかる。いまひとつ並びが単調だなー。
と思っていたら、共同ピーコだ。
「成田に着陸したNW機が乱気流に巻き込まれけが人がいる模様」
という一報。16時のトップに持ってきて続報を待つ。
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結局重軽傷者は40人を超えた。やっぱりシートベルトサインが消えても
シートベルトはしていたほうが安全なのか。。。
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で、番組は順調に進行。会見は小泉元総理が「平成20年度第2次補正
予算案の衆院再議決に欠席する」という発言や、中川元財務大臣の
「朦朧会見」の後始末など、本筋と違うところで永田町がごたごたして
いる感じだ。

選挙は、いつだ。

さてそんな中、いつもホリエアナがブースに届けてくれる朝日の夕刊
を見ていた私の手が止まった。(東京版3版)

故人を偲ぶ「惜別」というコーナーがある。
そこに見覚えのある名前があった。
元長崎大付属病院看護部長の久松シソノさんだ。
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ことし1月8日に亡くなったと紙面にはあった。

1945年8月、「長崎の鐘」の著者である・故 永井隆博士とともに
爆心地から約600メートルの現・長大医学部で被爆し、山の中の
救護所でひたすら救護活動を続けた人だ。

私が以前在籍した局は長崎にあった。
長崎の放送局は今はどうか知る由もないが「原爆とともに歩んで」
いると言っても過言でもない。平成新局だった私がいた会社も、後発
ながら原爆取材をしなければならなかった。

開局して2~3年くらいだっただろうか。
確か、長崎バイパスの脇の奥あたりだったと思うが、当時救護所が
あった山中で、私は当時自分がキャスターを務めていた夕方ニュースの
原爆企画の取材で久松さんらに話を聞いていた。

薬が何もない中、傷口を消毒するのが精一杯の状況下で、次々に
負傷者が息を引き取る。。。彼女はどんな気持ちで救護活動を続けた
のか、そしてその後の生活は、平和に対する想いは。。。

私は質問を続けた。先入観なしで見れば、どこにでもいる普通の
おばあちゃんだ。しかし50年ほど前(当時)、彼女はこの世のものとは
思えない光景を見てきたはずだ。それを乗り越えて平和な現代がある。

とにかく穏やかな人だったと記憶している。

享年84歳。被爆者として、そして人の命を救う役割にあった立場として、
さらに、平和を訴え続けるために、自分の役目を全うして逝かれたのだ。
と私は思う。合掌。

きょうも色々あった一日だった。
確実に日が長くなってきている。
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春が待ち遠しい季節だ。
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