あの6月3日から30年、婚姻届け提出から20年。(06/03) 
2021/06/03 Thu. 23:59 [edit]

夏の空だ。明日は梅雨らしくなる予報。

きょうも、しっかりやろう。

気持ちのいい天候のもとで、定例のワークアウト。

体脂肪率は高めで推移。

しかし筋肉量は高め。昨日の食事が祟ったか。

まだまだ研究余地あり。終了時は辛くも8%台で終わる。
さて、事務所へ。

これくらいの陽気が一番過ごしやすい。

そこまで暑くもなく、涼しくもない。きょうは夜まで、粛々と。
こんな時期。アイスコーヒーが旨い。

箱買いの季節だなぁ。これはメガドンキで88円。素晴らしい。
福岡でのタレントアナから転身、長崎でテレビ局のアナウンサー兼記者として地域報道に携わっていた。

30年前の4月に開局したばかりの局で2ヶ月足らずで大きな試練。画面は6月3日の大火砕流発生の数日前の夕方ニュース。雨が降り続き土石流への警戒を呼びかけていた。

もう一枚はいわゆる「定点」と呼ばれ、報道陣が普賢岳の様子を撮影していた場所だ。
ここも3日の大火砕流に飲み込まれ、報道関係者やチャーターされたタクシードライバーなど43人が犠牲となった。(最近この被災したタクシーが掘り起こされ、災害遺構として現地で保存展示されているという)
どこにいてもこの時期は30年前の山と小さな報道フロアの光景が頭をよぎるのだ。
このとき私は26歳。
今より鼻っ柱が強く、あちこちと衝突しながらもよく働いていたと自分でも思う。
平成3年6月3日。毎年なにかの形で触れているが、いま30年前を振り返ってみても感慨深いものがある。

共同通信のピーコ(速報などが入ったときに鳴るお知らせ音)で、夕方の報道フロアが大騒ぎになったこと、当日の項目がオンエア直前にほとんど入れ替わったこと。キー局も特番体制になり、深夜まで災害報道に追われたこと、そしてそこから長い長い報道が始まったこと。。。

私はこの局に11年ちょっといて離脱したが、そうした現場に携われたことは私の人生の中で様々な糧になっている。改めて犠牲者の冥福を祈る午後。(画像上はNTVニュースプラスワン、下は当時のスタジオとOA中の私・右側)
ランチ。

いつもの時間に、いつものメニュー。ご馳走様でした。
夕方スタートの案件は株主総会。

かなり長時間スタジオ予約頂いていたが、昨日、劇的な原稿の削減が行われたらしい。

しかしスタジオとしては、夕方以降のお客様をお断りしている現状などもあり、規約で「短時間で終了してもご請求は予約時間ベース」でお願いしている。

時間で売り場を販売している以上、どこかでの線引は必要なのだ。関係者の皆様、エンジニアの佐川さん、お疲れ様でした。

予定より早くなったが、上がります。

明日は出張。天気は荒れそうだ。

梅雨入り間近か。お疲れ様でした。
帰宅して最初は都内でも入手しやすくなった「サッポロクラシック」

乾杯🍻旨い。明日の準備しながら飲もう🍻
そして婚姻届けを休日の長崎市役所に提出したのが20年前の今日。
婚姻届け提出記念日だ。20年、よく続いている。。。(笑)
お疲れさまでした。
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