週末、ちょっとのんびり。(06/06) 
2020/06/06 Sat. 23:59 [edit]

相変わらずよく走る愛犬だ。

今朝も50分ほど走って帰宅後宅トレ諸々。

週末はこのパターンが定着だ。

おつかれさーん。

朝ごはん。愛犬は食べたはずだが人間が食べるものも大好き。

特にコーンフレークはいい音を立てて食べる。

ゆで卵もお相伴。

ご馳走様でした。

出社。の前に社有車の洗車を。
前回はコロナ前の更に前だったのでいい加減に洗いたいと思っていた。
久しぶりの本店へ。駐車場の開場待ち。

出社後、換気と掃除。

そして消毒。いつも通りだ。清潔に。

数日前から食べたかったバーガーキング。
一個買えば一個無料。こりゃいいなぁ。ご馳走様でした。
・・・閑話休題・・・
【SNSは「読み物」だ】(長い文章になります。ご了承ください)
・・・私はFacebookを含むSNS類いに記述されている者は全て「読み物」だと思っている。「リア充」しかり「いい人演出」しかり「ディスりあっているようで気の置けない連中とのやり取り」もそうだ。そんな中で最近このようなことがあった。皆さんはどう考えるだろうか。
誰にでも非常に親しい人物がいる。私にもいた。その知り合いの身内(私もよく知っている)が結婚することになった。しかもお腹に赤ちゃんがいるという。とてもめでたいと思うのは当然の気持ちだ。「披露宴に出てほしい」との要請。当然快諾して飛行機を予約した。仕事の合間なので日帰り。親しい人物の結婚だ。SNSの文書には茶目っ気たっぷりに「弾丸疲労宴」という表現を使って祝ったつもりだった。疲れるから嫌だ、行きたくないという表現は文章中に一切使っていない。
お腹に赤ちゃんがいる、いわゆる「できちゃった婚」についても、結婚後長いこと子供に恵まれずやっと第一子を授かり、第二子を突然死で失った我々からすれば羨ましい限りだ。当然他意などあろうはずがない。身内同然の付き合いをしていたと思っていたのだから。
翌日、件の知り合いから連絡が来て「本当に祝ってほしい人に来てほしいので出席を遠慮してほしい」とのことだった。「侮辱された」「怒り心頭」ともあった。「招かれざる客」であれば仕方ないと飛行機はキャンセル代を支払い出席はしなかったが、相当親しい間柄でこうしたことになるとは予想もしていなかった。しかも私の記述したSNSはその知り合いの人物は知らない。内通者がいた。
その内通者は私が書いたSNSのスクショを送っていたらしい。その人物とは親しく何度も食事をし、ことあるごとにお祝い金や小遣いを与え、ものを買い与えていた人物だった。しかし残念だがこのような状況を考えると、これまでの私や私の家族の状況はどんなことでも逐一、知り合いに「報告」が行われていたとしても不思議ではない。
加えてこの双方に間柄にはこれまた親しい仲介者がいる。何事かあれば両者の関係を取りなすべき人物だ。しかしこの仲介者は「仕方ないですね。我々だけでお祝いします」と見事に突き放して見せた。これで今後の修復は困難となり、こうした人たちとの付き合いは終わりを迎えた。仲介者に我々は恩義を感じ、ことあるごとに心配して出向いて相談事を聞き、様々なことを施してきたことなど「何の意味もなかった」ことになる。
翻ればそもそも、こうした慶事に対して当方に「他意」があるならSNSで公開したりはしない。わたしなら「影で」やるだろう。前述の「疲労宴」といった文書を真に受ける程度の付き合いだったのだろうか。こうした人たちがフェイクニュースやデマに踊らされる人たちということになるのだろう。本質はどこにあるのかを見極める目を全く持っていなかったことに驚愕した。もっと言えば「こんな冗談も通じないのか」とも思ったものだ。
しかし裏を返せばこうした(我々に非がある出来事)ことを見つけようと長い間待っていたのだろうか。解せないのだ。
さらにこちらの動きを逐一報告していた人物だが、今後もこのような行動を繰り返すのであればその人生は他人さまから信用されないものになるだろう。犬だって「一宿一飯の恩義」は忘れないという。その人物にはそれ相応のことをしていたがその費用は「どぶに捨てたようなもの」になった。私はこうした「チクリ屋」「情報屋」のようなことをする輩はそばにいてほしくない。
話は脱線するが、テラハの木村花さんはテレビでの言動行動がSNSで炎上し最終的に死を選択した。私も局員時代、名指して「ないことないこと」散々書かれて嫌な思いをしたが所詮こちらのことなど何も知らない輩が書く(表現は古いが)「便所の落書き」だ。しかし今回はそうした知らない第三者の出来事ではなく「身内同然」の付き合いだと(こちらが勝手に)思っていた間柄での出来事だ。何か腑に落ちず釈然としない気持ちが残る。
SNSで書かれることなどは「単なる読み物」と捉えれば目くじらを立てることなどないはずだ。それを杓子定規にとらえすぎた結果なのか、それとも元々「坊主憎けりゃ」の心境のところに今回の出来事が起こったからこうなったのか。これから長い人生、双方は互いに関知せず過ごすことになるのだろうが、知り合いと仲介者については、我々を切り捨ててしまった判断が間違っていなかったかどうか判明するにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
(関係性についてはかなりぼかして記述したのでわかりづらいと思いますし当方の愚痴も入っていますので快く思わない向きもおられると思います。個人的にはそれくらい重大なに出来事と認識していますのであえて書かせていただきました)

きょうは早めに終業。そして洗車完了。

今回も綺麗になって戻ってきた。流石プロの仕事だ。お疲れ様でした。

比較的早い時間にみんながいるので嬉しい愛犬。

ベッタリ。週末だなぁ。。。
明日もいつも通り。お疲れ様でした。
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