【あれから・・・】シリーズ。(06/03) 
2020/06/03 Wed. 23:59 [edit]

トレッドミル(ランニングマシン)が新しくなってデータの表示板が鏡面仕上げなので自分も写り込んでしまう(笑)

例年に比べて体脂肪率はちょい高めだが、これからまた下がるだろう。

いや、下げる。

落ちた筋肉もしっかりつけて再び身体を仕上げよう。

いい天気だ。

このあとは事務所で夕方まで事務仕事諸々。のんびりやろう。

ランチ。ど定番のいつもの。
ご馳走様でした。一休みして、午後の部スタート。
【あれから29年】
長崎県の雲仙普賢岳大火砕流参事から29年。
ここでも毎年のように触れているが、私は当時26歳。

福岡のテレビ西日本の番組契約タレントアナを辞めて「開局屋」として入社した地元テレビ局で夕方ニュースのキャスターをしていた。

私の記憶は月曜から金曜は本社でニュースを読み、土日は島原本部で取材して日曜の夜に本社に戻るといった勤務の繰り返しだったことしかない。

29年前のこの日は終夜放送に切り替えて特設ニュースを夜通し放送したと記憶している。
私は報道に「ある種の使命感」(今となっては単なるエゴか)を持って毎日を過ごしていた。
これが自分の天職・仕事だと思っていた。今は昔。

隣は元テレビ長崎の峰下キャスター。
消防団員や報道陣がチャーターしたタクシードライバー、応援で現地に入って亡くなった同業者など多くの犠牲者に思いを馳せる日でもある。

会社員生活の最後の時期は楽しくもなんともなかったが、報道にかかわったことは私のその後の人生に何らかのプラスとなっている(と思いたい)。
【あれから19年】
きょうは私たちの19回目の結婚記念日だった。

19年前の6月3日は確か休日で、長崎市役所の守衛さんに届けを出した記憶がある。

記念日に何かと利用するフレンチは結局食事が終わるまで誰も来ず、事実上「貸し切り」だった。

しかし久しぶりのフルコース。

堪能して昔話もほんの少しだけ。よく持ったもんだ(笑)

これからもよろしくー。ごちそうさまでした。明日燃やそう。
明日もいつも通り。お疲れ様でした。
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