- 2011/03/31 月末はいつもの通り。(03/31)
- 2011/03/30 気分的に多忙な日。(03/30)
- 2011/03/29 図々しさも場所による。(03/29)
- 2011/03/28 なんだか落ち着かず。(03/28)
- 2011/03/27 出張などなど。(03/27)
- 2011/03/26 震災の被害は関東でも。(03/26)
- 2011/03/25 最近、良く歩くのです。(03/25)
- 2011/03/24 風邪気味になると仕事が来る。(03/24)
- 2011/03/23 事務所で一日。(03/23)
- 2011/03/22 混沌としている。(03/22)
- 2011/03/21 休日出勤。(03/21)
- 2011/03/20 優先度とは。(03/20)
- 2011/03/19 留守番ですー。(03/19)
- 2011/03/18 東京は、節電中です。(03/18)
- 2011/03/17 混乱の予感。(03/17)
- 2011/03/16 地震関係は東京でも長期戦の様相。(03/16)
- 2011/03/15 被災していない人の感覚が「麻痺」。(03/15)
- 2011/03/14 国家の非常事態だと思う。(03/14)
- 2011/03/13 東京でも地震の影響続く。(03/13)
- 2011/03/12 見守るしかない一日。(03/12)
- 2011/03/11 大地震大変。(03/11)
- 2011/03/10 花粉だらけだ。(03/10)
- 2011/03/09 物思いつつ、事務所で過ごす。(03/09)
- 2011/03/08 忙しくても、ワークアウトする。(03/08)
- 2011/03/07 午前は雪、終日厳冬。(03/07)
- 2011/03/06 ひたすら、移動日。(03/06)
- 2011/03/05 京都の旅ではない旅。(03/05)
- 2011/03/04 余裕なし。(03/04)
- 2011/03/03 多忙なり。(03/03)
- 2011/03/02 息抜き過ぎ?(03/02)
月末はいつもの通り。(03/31) 
2011/03/31 Thu. 23:00 [edit]
月末だ。妻は先に金融機関から金融機関へと走り回っている。
私も我が子を預けて事務所入り。
ちょっと片付け物をしたら出発時刻だ。
私もとある金融機関へ。別の金融機関担当者と共に。

手続き1件。1時間ちょっとで終了。
打ち合わせして事務所へ戻る。
妻はどこにいるかと思って電話したら、事務所に向かう途中だと言う。
昼食を食べたか聞いたら、食べていないと言うので、コンビニで調達。
簡単に済ませて、妻は現在の勤務先が年度末で終了するということで
立ち会うために出掛けた。
私は締め作業を黙々と。

メールや電話が入る入る。
そられを捌きながら通常業務+締め作業なのだ。
やり残し多し。明日明後日と続く。
さて「赤プリ」の愛称で親しまれたグランドプリンスホテル赤坂が
きょうで閉館した。もう一度泊まりに行きたかったなぁ。。。
福島県の震災被災者の避難施設として、解体までの間、もう一働き
すると言うことだ。施設の終わりとしてはこれほど人様の役に立つ
終わり方はないのではないかと思う。
700室1600人収容。素晴らしいではないか。
本音はこの後もホテルとして末永く赤坂のランドマークとして
存在して欲しかったのだが。お疲れ様と言いたい気分だ。
さて、明日も締め作業の続き+@諸々あり。
明日から新年度スタートだ。
気分的に多忙な日。(03/30) 
2011/03/30 Wed. 23:00 [edit]
スタート出来た。風邪も完全に落ち着いたが、花粉症が酷い。
でも、いつものメニューでワークアウト2時間みっちり。

その後、事務所へ出勤して雑務、その後金融機関へ。
明日の決済の下準備を2時間弱。
必要かつ大事な書類が見つからない。結局家にあって落着。
明日は早くも月末だ。
弊社も去る3月を怒涛の勢いで見送ることになりそうだ。
図々しさも場所による。(03/29) 
2011/03/29 Tue. 22:30 [edit]
NTTのビジネスホン工事の日だ。足の踏み場なし。

午前10時過ぎに工事担当と営業担当が来て始まったのだが、どうも
様子が変だ。何かあったに違いない。
結局、この建物の弊社の部屋に限っては、配管が複雑すぎて
光電話のケーブル敷設が困難であることが判明。
えぇ~っ、そんなー。。。
しばらくは現在のシステムを使いつつ、既存のシステムを活かして
ビジネスホンに変更する方法をとることにした。

(現在使用している弊社の電話だ)
NTTの皆さん、ご苦労さん。
足の踏み場をようやく作って、諸作業進行しながら夕方外出。
行き先はニコタマ、二子玉川方面だ。
人間、歳を取ると面の皮が厚くなると言う言い方をする。
それはそれで仕方ないのだが、いくらなんでもこれは。。。
と言う話をひとつ。
二子玉川で電車を待っていた。もちろん並んで、だ。
電車が来て停車してドアが開いて乗り込み始めたが、そこに
老夫婦の夫がふらっと私の前を横切って、その後来た妻が
私の前に割り込んで乗ろうとしたのだ。
年上は、老人は敬わなければならないことくらいは知っている。
しかし、これは人間としてどうなのかという問題だと思ったので
「並んでください。私は並んでいるんです」
と伝えると、その妻は「あら、並んでたの。分らなかった」
と、とぼけて見せた。
万引き老人が警備員に取り押さえられて苦し紛れに吐いた
セリフのようで、気分が悪くなったので
「乗りたいんでしょう。どうぞ」と道を空けると、今度は
「いえいえ」と絶対に乗ろうとしない。
繰り返すが、私は子供と老人、妊婦には必ず席を譲ったり
何らかのアクションを起すことにしている。しかしこのような
図々しい輩には、絶対に譲らないことにしている。
第一、すたすた歩く元気があって、分っていて私の前を横切り
割り込んだのだ。当たり前に並んでいればいいのにそれが出来ない。
まるで子供以下だ。
どこかの地方都市や発展途上の国であれば許されるだろうが、
ここは東京だ。都会なのだ。
都会には都会で生活するための「ルール」や「マナー」がある。
それが出来ないのなら電車など利用すべきではないし、そもそも
東京などの都会で生活せずに、何をやっても平気な地域へ「引っ込む」
べきだと私は思う。
年寄りだから何をやってもいいと考えるのは傲慢だ。
平気で列に割り込む姿を全員が良しとしているわけではないと私は思う。
ここまで書く私だが、もちろん私も大都会での生活が困難になったり
都会の生活に順応出来なくなったら、どこか田舎に引っ込む位の
覚悟はしているつもりだ。
人生の大先輩が、たかが電車に乗るくらいでみっともない姿を
晒すのに情けなさを感じる。それを見た子供や孫は、同じことを
するだろう。子供を持つ親としても猛省を促したいのだ。
さて、遅れたが、日本テレビの氏家斎一郎氏が死去の報に驚いた。
テレビやマスコミの発展に大きな功績を残したのは周知の通り。
私が前にいた会社で島原半島を舞台にした「島原雲仙学生駅伝」という
九州沖縄ブロックネットの番組の立ち上げに関わった時、当時の会社は
地方の弱小U局でブロックネットでしかも後半は生放送でゴールの様子を
伝えると言うローカル局にしては大きな番組で、制作ノウハウがない。
当時番組プロデューサーだった私は、出張費を抑えたい会社を
説き伏せて、日本テレビの「箱根駅伝」のスタッフとして、
番組に少しだけ関わらせてもらったことがあった。
たしか98年か99年あたりの駅伝の最後には、Gサブのスタッフとして
名前がOAされた。
当時の私の仕事は「カルタ取り」と呼ばれるテロップの選択で、
選手や監督、通過地点などの場所のテロップを、対象者や対象地点が
映ったら即座に選んで「スタンバイOK」などと伝える役回りだった。
場所はOAディレクターの真後ろ辺りで、数メートル先には、いままさに
全国にOAされている正月の風物詩を制作しているスタッフの息遣いが
聞こえる場所だった。そこで感じた「雰囲気」や「空気」は、もちろん
その年の番組で余すところなく使わせてもらった。
現場と言うのは本当に何物にも変えがたい「先生」だと思う。
さて、初日のOA1時間くらい前だったろうか、1人の男性がサブに
入ってきた。私は振り向いて挨拶した。
「おはよう」と返してくれたその人が氏家氏だった。
その後私は会社を辞めて現在に至る。
氏家氏との接点はそのとき限りだ。
84歳と聞く。ご冥福をお祈りしたい。合掌。
明日は久しぶりにワークアウトからスタートしよう。
なんだか落ち着かず。(03/28) 
2011/03/28 Mon. 22:30 [edit]
床にワックスがけをしていたので、昨日は入室しなかったが、
きょうは午前中から警備会社とオフィス家具の搬入作業あり。

ロッカーやデスクが入ると何となく事務所っぽい雰囲気になってきた。
かなりおしゃれじゃないか。。。
午前中でほぼきょうの作業は終わり、早めの昼食。
いつもの喫茶店のホットサンド。おいしー。

午後はそのまま事務所で仕事をした後、15時過ぎに移動。
我が家のすぐ近くにあるスタジオだ。ナレーション業務。

こちらに来て10年になろうというのに、まだまだ行ったことがない
スタジオがあるある。しかも自宅のこんな近くに。ビックりだ。

年明けから来ている某製薬会社のPVナレーション。
実は先日の地震で一度スケジュールが流れてしまったのだ。
なかなか時間の調整が付かず、結局きょうになった。
弊社は弊社で増床事務所移転という作業の真っ只中だったので
1時間だけ時間を都合してスタジオに参上したのだ。
収録は本当に1時間で終了。
事務所へ戻っていると、先週収録した案件で不具合が発生したらしい
との一報が。。。いやーな予感。再収録必至か。
ひとまずきょうは応急対応をして帰宅。
明日はいよいよNTTがビジネスホンを設置にやってくる。
さーどうなるか。月末でどたばたしている弊社と私であった。
出張などなど。(03/27) 
2011/03/27 Sun. 23:59 [edit]
午前中ワークアウトに行きたかったが、風邪を完全に治してからと
言うことで、自宅で大人しく。。。

こんな日にワークアウトすると気持ちいいんだけどなー。
午前10時過ぎには出発するぞー。

久しぶりに車に乗れるので我が子は大喜びだ。
高速に乗って車を走らせること1時間ちょっと。
妻と我が子は車内にいてもらって、あいさつ回り2軒。
いずれも「御礼」の挨拶だ。
社長業とは、何か。
現場に出てバリバリやること、マネジメントをすること。
どちらも間違いではないが、私が思うに関係先に「御礼」を
して回る。感謝の気持ちを表して回ることが一番大事なのではないか。
そう思うようになった。
協力会社や関係先がしっかりした仕事をしてくれる。そのおかげで
弊社は少人数でも、業務のほとんどをアウトソーシングで行える。
アウトソーシング先は、強力な事業パートナーなのだ。
ずっと以前にも書いたことがあるが、会社も仕事も結局は「人」
なのだと痛切に思う。

我が子が行きたがっているのは。。。やはりマックだった。
私はハンバーガー単品とコーヒー。妻もほとんど同じ。

日曜の昼にスーツ姿で子連れマックはやはり浮いているようだ。
仕方ない。

その後、近くのかわら道を親子3人で散策。
風は冷たかった。
場所を移動して協力会社のスタッフと確認作業。
しっかりやってもらったおかげで問題なし。
小一時間もかからず終了。
買い物をして帰宅。それでも16時だ。
よし、髪を切りに行こう。
私の担当のカミヤサンは空いていた。そのままヘアカットへ。

こんな時じゃないと行けないのだ。
今週もずっと詰まってるし。。。
18時過ぎには帰宅できた。
食事しながら19時を待つ。見たいテレビがあるのだ。
「金八先生ファイナル」だ。
昭和54年にスタートした「3年B組金八先生」は、金八役の
武田鉄矢氏が福岡出身であったので同じ九州出身として親近感を
持っていたのと、当時、氏のバンド「海援隊」が爆発的にヒットを
飛ばしていたので、必ず見ていた番組だった。
昭和54年当時、私は中学2年で、まさに番組の設定とほぼ同じ環境下
にいたので、感情移入もしやすかった。
番組はあれから32年続いたのだ。
その後、この業界で飯を食うようになって、当時番組契約をしていた
テレビ西日本の番組で武田氏にインタビューした記憶がある。
その当時、氏の亡き母「武田イク」さん出演のコマーシャルの
ナレーションも何本か読ませてもらった記憶がある。私の超黄金期だ。
自分に置き換えると、高校、大学、就職、起業、結婚、子供の親
と、紆余曲折様々なことが身の回りに起こりつつ生きてきたが、
番組は一貫して「教育」を問い続けてきたのだと思う。
きょうまで「金八先生」のリピートをOAしていたが、今見ても
引き込まれてしまうのは、さすがドラマのTBSだと思う。
昭和54、55年の卒業生の中には、同い年の近藤真彦氏などもいる。
全員歳を取っていたが、結局自分もそうなのだ。
と、ぎゃあぎゃあ泣きながらぐずる子供と見ていたので、もう一度
しっかり見てみたい。
いい番組だったとしみじみ思う。
昔を思い出して切なくなった夜だった。
震災の被害は関東でも。(03/26) 
2011/03/26 Sat. 22:00 [edit]
打ち合わせで新宿方面。
久しぶりに車で出掛ける。いい天気だ。花粉も飛んでいる。

その後、知り合いにあって少々世間話を。
千葉方面の知り合いだが、整理解雇にあって現在「無職」という。
震災の影響らしいが、東北福島沖の地震の影響が関東でも現れている。
地震がなければ、みんな通常の暮らしを営めていたはずだが、酷なものだ。
命があったからいいではないか。と言う問題は超越している。
命は当然だが生活していく上での衣食住の確保は深刻な問題だ。
私の知り合いも何とかなって欲しいと願うのみだ。
午後遅くに一旦事務所に入って、収録一件。
某特殊撮影スタジオのPVのナレーションが突如舞い込んできた。
来週は時間が取りづらいのと土曜の午後は事務所周りが静かなので
一気に収録、整音してストレージで納品。よろしくどーぞー。
夕方、事務所で妻と合流して我が子をピックアップ。
あまりの寒さに思わずタクシーで帰宅。。。
明日も仕事で出張あり。
しかし確認作業だけなので、我が子を連れてドライブしよう。
最近、良く歩くのです。(03/25) 
2011/03/25 Fri. 22:30 [edit]
これまでより距離が遠くなってしまったので、電動アシスト自転車
でも買おうかと、妻と相談している。
きょうもいつものように我が子を保育園へ送り、二子玉川方面へ。
4月よりバイクの免許を取ろうと思っていて、その手続きだ。
都心で二輪教習を行っている教習所がなく、ちょっと郊外へ出ないと
いけないのだ。
手続きは午前中で終了し、そのまま事務所へ。
病院で注射して、いつもの喫茶店で早めの昼食調達。
きょうはあったぞ、ハンバーグサンド。

その後は、午前中電話があった金融機関からの要請で書類取得のため
に区役所と税務署。このところ本当に良く行くし、良く歩く。
いまは書類もATMのような機械で簡単に取得できる。
事務所に戻ってきたら、原稿の下読み。
現在事務所で受けているナレーション業務は、基本的に所属時代と
大差ないが、最近は原稿はメール、動画も完成したものはネット上で
ディレクターなどが当てた「仮ナレ」を見ながら下読みが可能だ。

弊社収録の業務も事務所内で全ての作業が完結できる。
発注側にも受注側にもメリットは多い。
夕方までそのほかの業務も進めながら、増床事務所の出来も
気になる。ちょっと見に行ってみると。。。

水道関係と、トイレの便器、それに多少の修正が済めば終了だ。
いい出来だ。
週末も関連した動きで休みなし。
来週は新事務所稼動に向けての準備に月末。
結局、怒涛の週末と月末を迎えることになりそうだ。
風邪気味になると仕事が来る。(03/24) 
2011/03/24 Thu. 22:30 [edit]
水の買占めが相次いだ。コンビニにはやっとパンなどが入荷され
始めたが、今度は水などのコーナーが空だ。

しかも3月下旬だと言うのに、気温がぐっと下がったおかげで
私は少々風邪気味だ。

しかしこんなときに私の仕事は忙しいのだ。
前の所属先のときも、体調が悪いときや海外から帰国したその日に
仕事を入れてくるので、正直「嫌がらせか」と思ったこともある。
どうやらこれは私の「宿命」かも知れない。
さて事務所は増床準備に備えて現在の事務所はダンボールだらけだ。
おまけに節電でまるで倉庫のようだ。

午前中は病院で注射をしてもらったり薬を出してもらう。
そのあと金融機関で作業をしたりして事務所で早めの食事。
そうだ、我が子は0歳児の頃「心雑音」が聞こえると診断され
定期健診でそろそろ保育園を早退する頃だ。妻が同行する。
私はスタジオワークのために移動。副都心線と丸の内線で西新宿へ。
駅は誰もいないかのようにガラーンとしている。

車内もほとんど乗っていない。
比較的早くスタジオ近くに到着。近くのスタバで事前準備。
そしてスタジオへ。1時間もかからず終了。

そのまま事務所へ戻る。
程なく検査を終えた我が子が妻と共に事務所へ。
久しぶりに職場に来たぞー。
お利口にしていたので、ママからミニカー買ってもらってらしい。

きょうはちょっと早めに終了。親子3人で帰宅。
手を繋いでの帰り道。歩道橋から街を眺めるのもいいものだ。

だが、節電と特定商品の不足と買占めは何時まで続くのか。
少なくとも節電や計画停電は今年の夏場に影響しそうだ。
今年は地味な一年になりそうである。
事務所で一日。(03/23) 
2011/03/23 Wed. 21:00 [edit]
新しい登園ルートにもすっかり慣れた我が子だ。
天気も上々。しかし時間がかかるのだいつもの1.5倍ほど。

昨日、電話でナレーションのオーダーあり。
夕べのうちに原稿がメールで来ていた。

早速収録準備。そして収録。午前のうちに収録して整音。
午後には納品終了。
昼食をはさんで明日収録の原稿の下読み。
ただひたすら読む。経済用語満載の数十分だ。

あっという間に夕方だ。
週の真ん中、早いなー。
ところで、東京の浄水場から放射性物質が検出された。
東京23区などで、乳児にミルクを与える際、水道水は使わないように
という報道だ。
幸い我が家では水は購入しているし、水道水は手を洗うとき
くらいしか使っていない。だが、やはり気にはなる。
我が家も大きくなったとはいえやがて3歳の乳児だ。
いよいよ首都圏にも今回の災害の影響が、別の一面で見え始めた
ようだ。政府はより一層正確な情報を詳しく出すことを望みたい。
さて、国土交通省が普通車の平日上限2000円を柱とする高速道路の
新割引制度の実施を見送ると発表したと速報が入った。
さっきネクスコ東日本の「上限2000円」というCMを見たばかり
だが。。。
国のこんな対応がまずいのだ。
今回の震災と高速道路の上限2000円の実施見送りとどう関係が
あるのだろうか。
現政権のやり方は唐突だ。
国民の信頼を得られるやり方をきちんと通して欲しい。
国民の1人として真剣に思う。
混沌としている。(03/22) 
2011/03/22 Tue. 22:00 [edit]
きょうから我が子の保育園は移転した新しい園となる。
さー行くぞぉ。我が子、傘デビュー。

これまでの保育園はどんなに雨でも歩いて20分足らずだったが、
新しい保育園は若干遠くなってしまった。私の会社からは近いのだが。
今朝は同じクラスのパパ・ママと良くすれ違う。
さすがに初日は2人で来る家庭が多いようだ。
オートロックの玄関を開けて、教室へ。

子供には新しかろうが古かろうがあまり関係ないようで、
すぐにおもちゃで遊んでいた。
私と妻は一旦私の会社で過ごして、途中まで一緒に移動。
郵便局では義援金の送金。区役所は5号認定の書類交付だ。
妻は来週の弊社事務所の増床に備えて、我が家から持ち出す書類など
の整理のため帰宅した。

弊社でも今回の東北地方太平洋沖地震については、義援金の協力を
行っている。今回は2度目だ。
■弊社の東北地方太平洋沖地震・支援の取り組み■
↑文字をクリックすると弊社の取り組みをごらんいただけます
事務所に入ったのは昼前だった。と昼食時をデパ地下で調達。
事務作業をしていたら、結局食事にありついたのは昼休み終了の
13時だった。きょうはバラちらし。いつものデパ地下すし店の物だ。

被災者の皆様には申し訳ないが、美味しくいただき、引き続き業務。
複数業務を1人でこなしていると、時間はあっという間に過ぎる。
28日に収録する本業の原稿が2本、メールで来たと思ったら、
別の収録のオファーが数分と置かずにメールで来た。その後、
電話でまた別の収録案件が決まり、今日だけで3件の本業収録が
決まる。いつもこんな風に本業が回ると面白いしありがたい。

さー、どんどん働こう。働ける内が華だ。
午後、私の師匠の奥様と電話。去年倒れてリハビリを続けてきたが、
いよいよ仕事を畳む決意をされたようだ。介護は思いのほか大変らしい。
溌剌とした元気な師匠だったが、声が出ない、動けない。
歩いてもおぼつかないと言う状態では、致し方ない。
そんな話をしたので、実家の親のことが気になって電話。
比較的元気そうだ。いつも孫(我が子)の話をしているらしい。
孫の顔をどこかのタイミングで見せてやりたいと思うが、
今の状態では実現はちょっと先だ。
夕方、新しい保育園へ我が子を迎えに行き、2人でぼちぼち帰宅。
やっぱちょっと遠いわー。
一足早い新生活を我が子はすでに始めている。
弊社の事務所もちょっと広くなって新しくオープンするのも
まもなくだ。
さて、経済産業省の海江田大臣が、福島第1原発での放水作業をめぐり、
東京消防庁ハイパーレスキュー隊幹部に「速やかにやらなければ処分
する」と圧力的な発言をしたとされている。
海江田氏は「私が直接現場と話したのではない」「かなり事実の混同が
ある」などと述べ、逃げの姿勢に転じているが、とんでもない話だ。
命を張って現場に入っているのは東京消防庁と言うだけでも相当な
違和感が私にはある。このような時は自衛隊に出動要請ではないの
だろうか。
ちょっと権力を持った小役人や会社の役職持ちが、自分より下の
人間や現場に介入してその権力を傘にやりたい放題やっているのと
構図は一緒だ。
以前いた会社で私も同じような経験をしたことがある。
もちろん私の立場は東京消防庁側だ。これは本当に困るのだ。
と言うことは海江田氏は中小企業の経営者レベルか。
その前に現状の把握をしっかりして言葉を発するべきだ。
このような大臣は辞めるべきだし、さっさと辞めさせなければ
ならないと思う。今回の震災の一連の政府の対応を見ていると、
「やはり民主党では駄目なのだ」という気持ちが湧き上がってくる。
次回、総選挙が行われたら、どれくらいの人間が残るだろうか。
政権云々の前に、一刻も早く国を立て直すのが先決なのだが、
このままではかなり不安だ。
市民活動家上がりの首相や、ずっと野党だった現政権の閣僚は、
それまでは「庶民の目線で」などと言っていきながら、政権を取った
途端に「我々の言う事を聞いていればよいのだ」という姿勢に
転じたように感じる。危険だと思う。
「救世主」は登場するのだろうか。
休日出勤。(03/21) 
2011/03/21 Mon. 22:00 [edit]
さて、今朝はワークアウトからスタートするか。
きょうもやること多し。
ジムは休日時間で営業だ。9時の営業開始と同時にチェックイン。
最初は少なかったが、あっという間にメンバーで一杯に。

節電対策でBGMは流されていない。
緊急地震速報対策か、モニターにはNHKがOAされていた。
ちょっと早めにチェックアウトして帰宅。
我が子を風呂に入れて事務所へ。
きょうも増床事務所の工事が進んでいる。
施工会社は私の顔馴染みの会社だ。
別事業でも何かと世話になっている。
昼食時間なので、いつもの喫茶店で弁当を購入して現場へ。
食事を工事現場で施工会社の責任者と一緒に食べながら
色んな話をした。建設業界でも材料がやっと入る状態になってきた
そうだ。弊社の工事も結局1週間遅れで進行中。
今の事務所と増床事務所に新しい「あるもの」を購入。

「緊急地震速報警報機」だ。自宅にはすでに設置済み。
最寄のFMラジオの信号を自動受信してチャイムを鳴らす仕組みだ。
ほんの数秒、しかし災害時は大きな数秒だ。この時間が明暗を分ける。
ユーチューブに興味深い動画がアップされていた。
3/11の14:46の数分前から10分くらいの在京各局のマルチ画面だ。
どの局が一番早く速報を出し、情報を提供していたかが一目瞭然だ。
結果はNHK。コメントには「受信料を払う価値あり」などの賞賛が。
結局私も事務所でゆれ始めたときにNHKをつけた。
すでにスタジオでアナウンサーが情報を伝えていた。
有事の際はNHKだ。参考までにURLを。。。
■東北地方太平洋沖地震発生時の全テレビ局同時マルチ映像■
(文字をクリックするとリンク先に飛びます)
金八先生をカットして特番に入ったTBSが民放で一番だった。
しかしNHKの速報から4分も遅れていた。東京で震度7クラスが来て
このレスポンスでは。確実に危ない。さすがNHKだと思う。
さて、仕事は夕方までしっかりやって、帰宅前に増床事務所の
進捗をちょっとだけ見に行く。。。

かなりかっこいい事務所になりそうな予感。
この部屋の主になるであろう取締役の妻が楽しみにしている。
私も当然使うし、来客対応は増床事務所がメインとなるが、
私は見慣れたこの事務所で一日の大半を過ごすことになるだろう。

どちらにしても今後発展する話だ。
楽しく、前向きに進んで行きたいものだ。
明日からまた新しい一週間だ。
頑張ろう。
優先度とは。(03/20) 
2011/03/20 Sun. 21:00 [edit]
良い天気で気温が上がっている。暖かい。
電力不足が言われているが、気温が上がれば必然的に光熱費は
少なくてすむ。午前中は家で過ごす。
昼食は我が子のリクエストで2日連続の「マック」だ。
私はビッグマックセットを久しぶりに。
マックのあとは私は事務所で仕事だ。
妻は我が子の「でんしゃのるー」というリクエストらしい。
いってらっしゃーい。
私は一人で事務所に移動するときは地下を通る。
日曜の昼間にもかかわらず地下道は閑散としていた。

事務所に入ったら、即仕事だ。
宅配便の不在受け取りに発送に事務仕事にetc...
やること多いわー。
緊急地震速報も出るし。(福島で震度3なり)

さて、最近思ったことをふたつ。。。
ACという団体をご存知だろうか。正式にはACジャパン
(旧:公共広告機構)という。
最近このACのコマーシャルがテレビで目立つが、大量にOAされているので
苦情が殺到しているという。
そもそもACは民放や全国の企業などが集まった団体だ。
ACのCMが流されるシーンは、企業のCMが何らかの理由でOA出来なく
なったときに登場するというパターンがほとんどだ。
企業が不祥事を起こしたとき。CMに出演するタレントが不祥事を
起こしたとき。そして大規模災害や事故のとき。
いろんな場面が想定される。
番組を見てて、特にゴールデンタイムなどでACが流されると
「スポンサーに何かあったな」とすぐ思ってしまうのだ。
ちょっと前(といっても軽く20年位前か)は「フィラー」と呼ばれる
風景などをつないだBGMつきのフィルムやVTRを流したり、天カメの
映像をOAしたりすれば事足りていたが、最近のCMは、流される時間に
よって、固有の番号(CMコード)が付与されている(紐付きともいう)。
このため、仮にOAできなくなったCMは「CMコード**********のCMは
OA出来ませんでした」という報告書を民放連などに報告するとともに、
変わりにたとえば「CMコード**********のAC「○○編」
(必ずタイトルがあるはずだ)をOAしました」などと報告する仕組み
になっている。
昔はこんなシステムではなかった。
なぜこんなシステムになったのか。
これは、ある民放がCMを契約本数分OAしていないのにOAしたように
見せかけてスポンサーからOA料金を取っていたという「CM間引き事件」
が発端になっている。
(独立U局の中には契約本数以上のCMを流したという「CM水増し事件」
も存在したと聞く。こっちはスポンサーにとっては嬉しい話だろう)
さらに、天カメ映像やフィラーが延々と流れるのは「放送事故」と
混同する恐れがあるため、OA上の体裁を保とうという局側の意向も
あるかも知れない。
最近ACのスポットが大量に流されたのはアメリカの同時多発テロの
時だろうか。このときは航空機を使用したテロだったので、航空各社や、
WTC近辺ででロケをした自動車メーカーのCMなどが、OA中止対象となった。
前の会社で当編成局の放送進行をしていた私は、上司や、マスター勤務
の女性(今の妻だ)とともに、対象CMを営業などとともに、軒並みACに
差し替えた記憶がある。
その月の月末の民放連に提出するCM放送結果報告の書類の作成作業
(民放では毎月行われている。私のもっとも不得意な仕事だった)の
大変だったことを記憶している。
「公共広告」という名前が示すとおり、ACのCMに金銭は発生していない。
にもかかわらず苦情や脅迫行為まで行われているという。
それぞれの業界には様々な仕組みがある。その仕組みを理解した上で
苦情を入れるべきだと思う。
今回苦情を入れている人たちは、反省すべきだろう。
一般企業のCMとはわけが違うのだ。
さらに「♪エーシー」というサウンドロゴまで削除しはじめた。
ACジャパンのWEBを見たら、悪くもないのに「お詫び」まで出す羽目に
なっている。
業界の隅っこで小さくなっている私だが、今回の一件は苦情を出した側に
問題があると思う。
もうひとつ。話題はまったく変わるが、優先順位の話だ。
今の世の中、通信手段は多岐に渡る。
電話もメールも大変便利だ。
しかしメールで済む用件をいちいち電話されると、弊社のような歯車が
小さい会社はそのたびに業務が中断する。
片や、本来は電話で話すべき、あるいは依頼すべき用件をメールで
済ませるのは危険だ。送り先が何らかの理由でメールを確認して
いなかったらどうするのだろうか。
要は、用事を伝える際の、優先順位のつけ方の問題だ。
「この用事はメールで大丈夫だ」「この用事は電話しなければだめだ」
この使い分けが非常に重要だ。
最近その使い分けが出来ていない事案に良く出くわす。
その人は仕事をしているつもりだろうが、時として電話は面倒なものに
メールは横着に見えるときがある。、もはやその用件は「仕事」
ではなく「作業」の域を超えられなくなる。
弊社も私も「他山の石」とすることにしよう。
最後に、今回の震災に対してキャスターの久米宏氏が2億円を寄付。
コメントは特段なし。というニュースをネットで見た。
本当に尊敬する。2億稼ぐのも大変だが、氏にとって財産の一部かも
知れないが、こうした行為が普通に行われる国になったのだ。
相互扶助の精神はすばらしい。
大災害の時だけではなく、日常の生活の中でもこのような行為が
穏やかに行われる世の中であってほしいものだ。
帰宅時、地下道のエスカレーターは下りは止められていた。

街の中は灯りが消えているが、人はわさわさと動いている。
三連休の中日の夜は過ぎていく。

我が家マンションのロビーや共用部も節電協力だ。

こっちのほうが高級感あるぞ。ずっと継続すれば、と思う。
明日も全国的に休日だ。
私は午前はワークアウト、午後出勤の予定だ。
留守番ですー。(03/19) 
2011/03/19 Sat. 22:00 [edit]
必然的に私が子守り役だ。
いい天気だ。

妻を送り出してしばらくしたら、我が子は「マック行こうよー」
さっき朝ごはん食べたばっかだろうがっ。
仕方ないなー。

午前11時半前。メニューはまだモーニングメニューだった。
これも仕方ないなー。しかし我が子はポテトとチキンを食べている。
お腹が膨れたところで、マンション一階の公園へ移動して遊ぶ。

自宅からボールを持ってきて遊び始めてしばらくしたら
「ウンチ出たー」おいおい。
じゃ、うちへ戻ろう。
しばらく自宅で過ごす。昼寝の時間だが、なかなか寝ないなー。
と思ったらぐずりだした。よし、眠たくなったサインだ。
しばらく我が子は爆睡。
妻は15時くらいに業務終了との事。
迎えに行くぞー。ガソリンも入れようかなー。
などと思って自宅を出発。
246沿いのスタンドは長い列が出来ている。だめだこりゃ。
落ち着いてから出直そう。
と思ったら、妻の勤務先の近くにスタンドあり。
そんなに混んでいない。

並んだら10分もせずに順番がきた。
現金ならば5000円分、カードなら満タン可能。
迷わずカードで満タンを選択。
リッター180円と少々高かったが、いつ何時車が必要なシーンが
あるか分からない。聞けば朝は1時間半待ちの行列が出来たそうだ。
いつになったら解消するのか。
国内の危機管理が問われている。その答えが出るのはちょっと先に
なりそうだが、次回政権を選択するときには考慮しなければならない
点が多くありそうだ。
東京は、節電中です。(03/18) 
2011/03/18 Fri. 21:00 [edit]
それにしても夕べも今朝も寒かった。
我が家もすっかり節電モードで、暖房は必要最低限。
昨夜は使用しなかった。
我が子を保育園へ。4月からの引っ越しに備えて部屋はがらがらだ。

私はそのままジムへ。ジムの営業時間にも変化が。
いつもは7時オープンだが、きょうは9時オープンだ。

さすがに人は少ない。でも来る人はしっかり来ている。
地震から1週間目の朝だ。

ワークアウトを終えて、整骨院でボディケア。
近くの家電量販店でラジオと電池を買おうと思ったが、売り切れだ。
ドンキも営業していたが、BGMはなく、人々が黙って店内を移動する
様子は不気味だ。その近くのデパートも短縮営業中。
照明半減でいつもと確実に違うことが分る。
食事を調達するためにいつもの喫茶店へ。
ついにパンが入荷しなくなったらしく、ホットサンド無し。
久しぶりに弁当購入。
ついに都内では食料にまで影響が出始めたようだ。

食事を済ませて、雑務諸々。
書類をそろえて役所へ移動。
不況業種認定申請窓口へ。金融機関との交渉には、どーしても
これが必要らしい。それがまた窓口には4~5人が待っている。
世の中不況だ。
しかも節電で庁内は暗い。こちらの気持ちも暗くなる。

前回、被災していない人の感覚が麻痺しているということを
書いたが、昨日もこんなことがあった。
ある宿泊施設のメルマガを購読しているが、その中に、今回の震災の
被災者に癒しを与えたいと、被災者に限って大人一泊二食で5000円で
宿泊させるが、このような内容が支援になるのか、また、これを
どのように支援者に知らせるかをメルマガ購読者に尋ねる内容だった。
ちなみにこの宿泊施設は神奈川の「箱根」にある。
被災者の状況を良く考えて見るといい。
家や家財道具、家族や親しい人を失って「その日を生きること」に
必死になっている被災者に箱根まで来いと言うのだろうか。
理解に苦しむ。
このようなプランを出した人物が、被災者であったとしたら、この
プランを嬉しがって交通費を払って、寸断された道を箱根まで来て、
一切合財を流された被災者が5000円も払って泊まりに行くだろうか。
誰が考えたプランなのだろう。真剣に変なプランだ。
自分の会社の売上げの何%かを義援金は寄付にまわせば済む話では
ないか、と私はフツーに考えて単純に思う。
さらに言えば、個人ならまだしも、企業が「私は何をすればいいで
しょうか」というようなことを、メルマガ購読者に問うのはいかがな
ものかとも思う。
こんな感じで組織を運営しているとすれば、何か起こったときに
頓珍漢な対応をされかねない。私の中でこの施設に宿泊することは
2度とないだろう。
と書いていたら、件の宿泊施設グループからメールが来た。
それによると「被災者応援プラン」として宿泊代金の中から
1人あたり2000円を義援金として寄付することを決めたようだ。
こんな決断は組織のトップが決めてトップダウンでやらせれば
数時間で出来ることだ。
弊社事務所がある繁華街でも、得体の知れない団体が、様々な
名目で募金活動を行っている。募金箱を持って適当に立っていても
それなりの「売上げ」になると聞いたことがある。
弊社でも創立20年を過ぎて、やっと、念願の社会還元活動に着手する
ことが出来た。しかし弊社の方針として、何に使われるか分らない
団体の募金や寄付へは一切関わらないことにしている。
弊社は日本赤十字社が行う災害募金へ3月15日に早速1回目の
寄付を行った。
今後も出来る限り継続的にサポートしていくことにしている。
それ以外のサポートプロジェクトも進行中だ。
有事の際にその人の人柄が分る。その会社の姿勢が分る。
弊社はきちんとした方針と姿勢を保持して、様々な出来事に
取り組んでいこうと考えている。
混乱の予感。(03/17) 
2011/03/17 Thu. 23:00 [edit]
調べてみたら「東京 地震 仕事」などの検索ワードを入力すると
このブログがかなり上位に現れている。
地方では東京では仕事にならないという感覚を持たれているのだろうか。
確かにそうだが、一応仕事はしている。
さて、今朝家族で家を出て、妻を地下鉄の入り口まで送ったら、
くだりのエスカレーターが節電で止まっていた。

いよいよ首都圏も電力事情が深刻になってきた。
私の住んでいる地域は、計画停電対象外だが、今朝はことのほか
冷え込んでいる。暖房などが一斉に使われればブレーカーが飛ぶのと
同じ原理で、地域関係なく大停電が起こる可能性がある。

天気はいい。抜けるような青空だ。
我が子を保育園に送って、今朝一番の仕事は金融機関めぐりだ。
これまで一度も担当が来たことも、満足な連絡もよこしたことがない
信用金庫だったが、今朝は担当者と融資課長が出てきた。
融資課長は赴任して1年だ。
それじゃあ、我々がどのような思いをしてきたか分かるまい。
「我々のような小規模な事業者や家庭は相手にしていただけない
ようなので」と切り出すと「そんなことはありません、信用金庫の
理念は正にそこです」とおっしゃる。
個人としては信用金庫の企業理念はお分かりいただいているようだが、
組織になると全く違う顔を見せるのが恐ろしい。
若い担当者のメモには「過去の誤解」と書かれていたが、それは違う。
弊社が融資を要請したときに、2ヶ月も3ヶ月もかかって、結局融資不可
という答えを出し、事務所にも全く顔を出さず、何の情報も出さな
かったのは、私の目の前に座っている融資課長がいる信用金庫なのだ。
どれだけの関係先に迷惑がかかったか考えて欲しい。
貸さない、貸したくないのなら早めに言って欲しい。
小規模事業者はそんなに悠長に待っている時間はない。
繰り返すが、これは誤解ではない。小規模事業者いじめだ。
今後の取引を全て引き上げると伝えて次の金融機関へ。

現在お取引をしている事務所近くの金融機関は、非常に好意的だ。
今回の増床事務所分は2軒目に尋ねた金融機関で調達した。
さらに合計で数千万単位の金銭が動く案件が実行待ちだ。
一般の感覚では金を借りているほうが下に見られがちだが、こちら
だって、しっかり利息を払っている。この利息で金融機関の従業員の
給与は支払われているの。立場は対等だ。
さて、ここまで終えて午前10時過ぎだ。
午後からのスタジオワークの原稿がメールで到着。
発信はインド、都内の制作会社を経由して弊社。
早速下読み。本来の収録分に1本増えている。まいどありー。

弊社も自主的な節電を励行中だ。事務所も窓から入る光だけ。
日中は結構明るい。でも入り口付近は暗い。何時になれば電力供給
が正常に戻るだろうか。

ちょっと早めに事務所買い置きの食材で昼食。
移動。中目黒方面。東急東横線はほぼ通常運行だ。
車内も空いていた。
13時から収録開始、本編2本と前回の先方都合の録り直しを含めて
1時間かからずに終了。

事務所に戻る前に区役所へ。書類の取得。
なんとネットで取得できることが判明。もっと早く教えてくれ。
何度行っていると思っているのだ。
事務所で雑務粛々。
経済産業省が緊急会見だ。
「夕方から夜にかけて電力需要のバランスが崩れ、予期しない
大規模停電が発生する恐れがある。より一層の節電を要請する」
というものだ。
こうなると、場所など関係なく停電はありうる。
JRなどは大幅な運行縮小を早々と決めたようだ。
首都圏の機能はまた乱れそうだ。

(事務所の近くのデパート。繁華街はいつもは煌々としているが。。。)
福島第一原発も被爆の危険性を承知の上で放水作業が続いている。
いよいよ明日のことすら分らなくなってきた感じがする。
そういった意味では「東京は仕事になっていない」のかも知れない。
地震関係は東京でも長期戦の様相。(03/16) 
2011/03/16 Wed. 22:00 [edit]
(と言っても私は戦時体制を経験したことはないのだが)
今朝も我が家は粛々と朝の準備だ。
我が家は計画停電の地域から外れているのが、少しでも協力できない
ものかと、必要以外の電灯の点灯を自粛している。
いつものようにそれぞれに出勤。
我が子を保育園に送っていつもの出勤路。

随分人はいるが、それでも日曜の朝の雰囲気だ。
いつも利用するデパートも節電モードで。

事務所の増床工事に携わる関係者にお茶でも買おうと立ち寄った
コンビニは食品は軒並み売り切れ。そして店内の照明も半分しか
点いていなかった。

さーきょうも仕事しよ。
弊社も今週から節電モードに切り替えて営業している。

事務所の照明はもちろん、エアコンも出来る限り使用を控えている。
折りしも、春に向かって温かくなってきたことが幸いしているようだ。
明かりの点いていない静かな事務所で仕事。
しかし家も家族も何もかも失った人々のことを考えると何万倍も
恵まれていると感じる。

時間が経つのが早い。
昼になり食事の調達はいつもの喫茶店。
この界隈は余り影響が無いとシェフ。

午後、のんびり仕事をしていたら、明日の午後、収録の依頼だ。
続いて金融機関から連絡。いい知らせだ。
一方でこれまで役に立たなかった金融機関は手のひら返し。
あからさまは良くないよ。城南信金さん。
まぁ、同じ信金の人に言わせれば「あそこは地銀みたいなトコロ」
ということで、結局は中小の中でも規模の大きな会社しか相手に
していないことが露骨に分かってしまった。
悲しいなぁ。
「金貸し」と言う言葉は使いたくないが、私の大師匠は
「やくざのほうがまだ人情があるぞ」と言っていた。
そのニュアンスはわかる気がする。
急遽私の担当になったという若い青年(声の感じから)は
何とか食い下がってきたが、私が一喝。
そんな段階ではないのだ。
なぜ弊社がいろいろお願いしているときに応じずに
今になってこちらが取引終了を申し出たら食い下がるのか。
1ヶ月前に赴任した若い担当では分るまい。
その若い担当に振った今の担当も太ぇ野郎だ、と思う。
小規模零細のオヤジ、地銀を気取る信金担当者を一喝。
と言えば格好いいのだが、内情は辛いんだぞ。の巻だ。
夕方、早仕舞いして保育園へ。
この春から我が子が通う保育園が新しくなる。
完成したばかりの保育園に見学だ。
そのまま帰宅。
きょうは夕方にいろいろあった。
人情があるんだかないんだか、日本と言う国は。
全てを割り切ってやることなどできっこないと思うし、
ハンドルの「遊び」の部分を、気持ちの上で残しておくことも
大事だと思うのだ。
でも今の日本でそれを求めるのは無理だ。
変な世の中になったなぁ。と思わぬところで実感。
明日も朝からばたばたしそうだ。
被災していない人の感覚が「麻痺」。(03/15) 
2011/03/15 Tue. 21:00 [edit]
一応、今回の地震の行政の正式呼称は上記だが、
NHKや様々な団体は「東北関東大震災」と表記しているが
弊社と弊社のWEB上での表記は「東北地方太平洋沖地震」と表記します。
きょうは我が子は去年手術した「尿管瘤」の定期健診で国立成育
医療センターへ妻と出掛けた。
私は午後、スタジオワークがあるので、午前中はワークアウトに
行くことにした。ジムは昨日はついに休業、今日は平常営業だ。

私がチェックインしたときには、メンバーが3人くらいいたが、
徐々に居なくなって、一時私1人の貸切となった。

11時前にはチェックアウトして、帰宅、着替えて出勤。
きょうは自転車だ。スタジオは四谷だが、計画停電で電車がどうなる
のか不安だったので、久々に自転車の登場となった。
制作会社のスドーさんはかなり久しぶり。話題は地震一色。
「こんなことがあるとイベント減って大変なんですよ」とスドー氏。
確かに。
さて、案件は最近多い医療モノ。

収録を始めて直しも入れて30分足らずで終了。
おつかれしたー。
事務所に立ち寄る前に法務局で取得書類一件。
あとは夕方まで事務所だ。
妻からメール。我が子は結局病院のある地域が「計画停電」に
引っかかり、主要な検査は受けられず、とのこと。国立なのに。
聞けば自家発電は重症患者の手術のみに使用するようで、
手術待ちの患者が大勢居るようだ。
確か計画停電は「公共交通機関なども例外なし」と言っていた。
しかし国立の医療機関は停電から除外できなかったのか。
さて、私達は幸い直接の被災は免れて、ちょっと不自由ながらも
日常生活を営んでいるが、テレビを見ていると「?」と思うことが
目立ってきた。
「そんなこと書くから仕事が来ないのよ」と妻に言われそうだが、
やっぱりおかしいぞ。偉そうですが、この下の文章を見て、
なんとも思いませんか?
*リポーターが被災地からリポートを始めた。
後ろには避難所から「調達」したと思われる被災者の皆さんが
「○○は無事」とか「水・食料を」と書かれた画用紙を持って
一塊になっている。
私の主観だが、被災者達が演出で「並ばされた」印象を受けた。
少なくとも緊張感が伝わってこなかった。
今回は大災害継続中だ。このような演出は必要か。
少なくとも楽しい話題ではないのだ。他の演出はないのかと思う。
正直、見ていて寒々しかった。
*スタジオでアナウンサーが「避難所での過ごし方」を説明。
「・・・寒さを防ぐには、お腹に新聞紙を巻いてその上にラップ
を巻くだけでもかなり寒さが防げます」との説明に、
ついこの間まで朝・昼の帯番組に出演していた局アナ出身の大御所
キャスターが一言。
「そーなんだよ!痩せるときにはそれ、巻くもんね」
この発言のセンスも私にはどーしても理解できない。
銀座のクラブでねーちゃんを横に座らせて酔っ払いの与太話を
聞かされているわけではないのだ。何人が死亡して何人の安否が
分からず、何人が寒い体育館などで寝泊りしていると思っているの
だろうか。
このキャスター氏は過去にも数々の「暴言」を発している。
誰も何もいえないのか。
私がもしこのようなことを言えば、次の日から出番は完全になくなる。
突出して売れてしまえば、勝ちなのか。
*さらにはこの国の首相が、原発事故の対策問題で会見して一言。
「この問題を解決できるのは、あなた方しかいない。」(と任せた)
そーじゃないでしょ。中小企業で何かのプロジェクトを部下に任せる
のとは訳が違うのだ。確かに専門的な知識や技術などは東電や保安院
の役目だろうが、「問題が起きたので、後はよろしく頼む」という
丸投げの姿勢が見えて仕方が無い。
これで「きょうはヘリで何処どこに行って参りました」と、自身の
大変さを官房提供のカメラ映像を配信してまでアピールされても
説得力はない。国民はこれでよしとしているのだろうか。
なんだか感覚が「麻痺」しているように思えてならないのだ。
そうこうしていたら、福島第一原発4号機の建屋が爆発している。
最初は10キロ圏内の住民の避難を指示したが、きょうは30キロまで
拡大した。東京でも通常の数十倍の放射能やヨウ素、セシウムなど
が確認されている。
原発周辺の人々は被爆しているのではないか。
国の情報はきちんとディスクローズされているのか。
第二のチェルノブイリになる危険性は本当にないのか。
どの情報を信用すればよいのか。
地震から津波の甚大な被害、気の遠くなるような期間の災害復興、
そして原発事故。原発事故は世界中が注視している。
暗澹たる気持ちで生活する日々は、長そうだ。
私の感覚も「麻痺」しそうだ。
国家の非常事態だと思う。(03/14) 
2011/03/14 Mon. 23:00 [edit]

計画停電をやると言う発表だったが、二転三転して、結局は今朝
1回目の停電は見送られたようだ。
しかし、情報伝達が遅れた影響もあって、あちこちで電車が運休
している。
我が子を送る途中の交差点も。。。

保育園では副園長が
「職員が出勤できていないので、早めのお迎えをお願いすることも
あるかもしれません」
今回ばかりは仕方なしか。
我が子を送って事務所に向かう途中も。。。

本当に人がいない。静かな都心だ。
とにかく事務所に入って、きょうから弊社も節電体制で業務だ。
エアコンや無駄な照明は付けずに業務。
仕事を始めて1時間ほど経っただろうか。
きたよ「緊急地震速報」が。

揺れだしたが、金曜日の比ではない。
でもロッカーや神棚付近を自然に押さえてしまう。
東京も余震が続いている。計画停電も始まりそうだ。
そして何より驚いたのが、自衛隊が予備自衛官の招集を検討していて
すでに数千人が準備していると言うニュースだった。

災害派遣の自衛隊員は当初の5万人規模から10万人規模へ増強されたが
確かにまだまだ足りないだろう。しかし予備自衛官招集とは。
さらに、携帯がいつもと違うチャイムだ。なんだろうと思ったら。

発信者は内閣官房だ。計画停電への理解と協力を呼びかける異例の
メールだ。こりゃ国家の非常事態といっても過言ではない。
国のトップが非常事態といってしまえば、それだけで国民が混乱する
のは目に見えているから、あえて非常事態という言葉は使わないの
だろうが、私は立派な非常事態だと思う。
さらに、福島第一原発3号機では水素爆発は起こり、東京電力の社員や
自衛隊員など11人が怪我、うち6人は被爆と言う情報だ。大丈夫なのか。
地震と津波と原発事故。嫌な予感がするのは私だけか。
情報は全てディスクローズされているのか。
各地から地震のお見舞いメールなどが届く。
いつも通りに仕事を終えて帰宅。新宿高島屋などは従業員が出勤
できないと言う理由できょうは休業となっている。
私達が住む町も同じような感じだ。ほとんどの店は18時で終了だ。

夕方から計画停電が始まった。幸い私達の住む地区は対象地域から
外れているが、自宅の窓から見ると、どんな深夜でも煌々と輝いていた
ネオンサインが全くなく、本当に「夜」だ。
このような生活が当分続くに違いない。
景気は、被災前は2013年くらいまでは確実に悪いと言われていたが、
もっと先へ伸びそうだ。
家族3人で迎える「静かな夜」だ。
東京でも地震の影響続く。(03/13) 
2011/03/13 Sun. 21:00 [edit]
特番を見ていると、地震後の津波の威力に改めて驚かされる。

東京でも今回の地震の影響が現れている。
私は朝からワークアウトでスタートすることにした。
地震の余波は気になるが、自分たちの生活を日常に近づけることも
必要だ。何かやっていないと落ち着かない。

同じマンションの女性が後でやってきて少々立ち話。
彼女も何かしていないと落ち着かないとジムへやってきた。
11日の地震では都内は震度5だった。
私の会社の事務所では、横揺れとともにプリンターなどが落ちそうに
なって慌てた。帰宅したときの我が家の様子を思うと気が重かった。
しかし、部屋の中はまったくといっていいほど普段どおりだった。
私の住んでいるマンションは、いわゆる「免震構造」だ。
地震でかなり揺れても建物の中は「ゆっくりローリング」する感じだ。
やはり住む建物も選ばなければ、と言う話で一致。
ワークアウト中にも緊急地震速報が流れる。
ジムには重量のあるトレーニングマシンが多数設置されている。
来ているメンバーさんたちもやはり気になるようだ。
揺れるとモニターの周りに集まってくる。
11階のジムから人通りを眺めると、明らかに人出は少ないのが分かる。
帰宅してみると、自宅マンションも少々影響を受けていたらしい。

帰宅して改めて繁華街へ出てみる。
人出は戻ったかに思えるが、デパートなどは節電要請を受けて
午後6時までの営業らしい。
町の様子を眺めながら、事務所へ。

弊社の別事業も、今回の地震の影響を少なからず受けている部分がある。
メールやFAXなどで業者さんへお願い文書などを送る。続きは明日だ。
16時前に事務所を出て夕食の買い物などをしながら帰宅。
私の住んでいるエリアは、ひとまず日常生活を営める状態である
ことに「ありがたさ」すら感じる。
原発では放射能が漏れて被爆者が出ている。
マグニチュードは9.0に変更された。
一般の人が津波が襲う瞬間を撮影した映像がボツボツ出始めた。
18000人の町で9000人の安否が不明だ。
海外からの支援の手が続々と到着している。
帰宅途中、メールが入った。
大学の先輩だ。仙台に自宅があり、横浜に単身赴任中で、地震発生の
翌日にメールをしたが、返事がなかったので心配していた。
「無事」と言う返事。大いに安心した。
先輩は有給で帰宅したときに被災したらしい。
電気・水道といったライフラインが復旧したらしい。
奥さんも旦那さんがいて心強かったことだろう。
とにかく無事でよかった。明るい知らせだ。

反面、これから救助や復旧活動が本格化するにつれて、各地の惨状が
ますます明らかになり、暗澹たる気持ちになることは明らかだ。
明日から首都圏で予想される電力不足に対応するための「計画停電」が
実施されることが決まった。
菅首相は夜の会見で、今回の災害は「日本の危機」であると訴えた。
この経済状況に加えて、自然災害の猛威は我々に何を伝えようと
しているのだろうか。
見守るしかない一日。(03/12) 
2011/03/12 Sat. 21:00 [edit]
午前4時前には長野で震度6との情報。
そのまま午前6時を迎えて起床。
テレビは地震報道一色だ。新聞の番組欄もご覧のとおり。

通常番組を夕方あたりからOAする民放もあるようだが、結局
報道特番になってしまった。
いつもはにぎやかに商品を紹介しているテレショップチャンネルも
ご覧の通りだ。

(画面はショップチャンネルより)
きょうは繁華街の渋谷パルコや表参道ヒルズなども休業だ。
ワークアウトをしているジムも、私が通っている店舗は短縮営業。
設備点検や安全確認に加えて「節電」が主な目的らしい。
明日は通常に戻るだろうか。
午前中、岡山で療養生活をする大学の先輩から安否確認のメール。
こちらは全員無事と返事。
しかし宮城に自宅を持ち横浜に単身赴任中の大学時代の先輩と
連絡取れず。家族や子供は仙台市内のはずだ。
現地に入ろうとしているのか、返事をする暇もないのか、
回線がつながらないのかもしれない。
別事業の業者さんにも連絡を取ろうとするが、なかなかつながらず。
昼過ぎになってやっと1社から連絡あり。
その後こちらからの電話もつながって弊社別事業の地震の被災状況
も明らかになってきた。対応を指示してひとまず安心。
また別の業者担当者には弊社の業務を現在進めてもらっているが、
昨日の地震発生以来、弊社増床事務所の作業をやってもらっていた
担当者は、そのまま帰宅困難者の一人になってしまい、結局帰宅
したのは午前3時半くらいになったそうだ。自然災害ながら恐縮。
さらに我が弟分の「キシクン」から夕方近くに電話あり。
自宅にやっと帰りついたとの事。
親御さんが山形で、私達も世話になっていたので気になっていたが、
現在山形市内は停電中で、携帯の充電もままならず、車のシガー
ソケットから電源供給して連絡があったそうだ。
ひとまず無事ということで安心。
友人というのは離れていても本当にありがたいものだ。
博多の古い年上の友人、ミハラ氏からメールだ。
「ご家族皆様ご無事でしょうか」と短い一言。
それだけでこちらを思いやる気持ちが充分伝わる。
博多にまた行って痛飲したいと思う。
被災地の惨状は報道の通りで、これが人々が暮らしていた場所かと
思うほどの状況だ。壊滅してしまった地域も少なくない。
そんな中、福島の第一原発で爆発事故発生の一報だ。
原子力安全保安院の会見も延期され、防衛省の部隊も現地から
撤退したとの情報も流れる。これはいったい何を意味するのか。
日テレの映像を見ると、建屋が吹き飛んでいる。
あまり良くない兆候の始まりではないか、と不安になる。
とにかく、今日は一歩も家から出なかった、というより出られなかった。
見守るしか出来ない、一日。
日本は大丈夫か、いろんな意味で。
暖かい気分になったことは、今回の被災で米中韓をはじめとする
世界50カ国以上から支援の申し出が時間をおかずに行われたことだ。
ついこの前被災したニュージーランドからも申し出があったそうで
当時捜索活動に当たった48人を派遣する準備があるという。
嬉しいことだ。
しかしながら、今回被災された地域や避難生活を行っている人々の
姿を報道で見ると、何ともいえない気分だ。
大地震大変。(03/11) 
2011/03/11 Fri. 23:59 [edit]
我が子を保育園へ送って東京近郊へ。
天気はいいが寒い。花粉も酷そうだ。

やはり花粉が酷かった。現地についた途端に鼻水とくしゃみ連発。

業者各社と打ち合わせ。滞在時間は1時間半くらいだ。
高速で帰宅して事務所へ出勤。
仕事を始めた。そして14:36。。。
ちょっと揺れ始めたのですかさずNHKをつけると、
すでに緊急地震速報が流れていた。
その直後、緊急事態を知らせるチャイムが流れた。
オンタイムでこのチャイムを聞いたのはどれくらいぶりか。
さらに揺れは大きくなり、事務所のキャビネットなどがギシギシ
鳴り始めた。弊社で一番危険なのは「神棚」付近だ。
とっさに押さえるが、揺れは一層大きくなり継続している。
なんなんだ、この揺れは。大地震だ。
数分続いただろうか。
ガシャッ、と言う音がして色んなものが落ちてきた。
揺れが収まった後の事務所はこんな感じだ。

しかし比較的、というより被害としては軽かった。
しかし「怖かった」

(画面はNHKより・お台場で火災)
テレビでは被害状況を伝えている。
お台場で煙が上がっているとのこと。火災だ。
そのあと、岩手の釜石などの中継画像に釘付けになった。
「津波」だ。
これまで、報道の末席を汚してきた私でも、津波50センチなどと
聞いても「軽い」と言う認識しか持っていなかったが、車や
コンテナなどが軽々と流されていく様子を見て、認識を改めたのは
言うまでもない。

(画面はNHKより・岩手で津波発生)
千代田区にいる妻から奇跡的に電話がかかってきた。
この時間通話規制中だ。
ひとまずお互い無事を確認。我が子もその後保育園に電話して
無事が確認できた。
九州の妻の実家、そして沖縄の友人などから「大丈夫ですか」という
メールが次々に入る。余震は断続的に発生し、そのたび神棚を
抑えながら、メールの返事を返しながらの仕事だ。
NHKの画面ではその後、千葉のコンビナートの炎上、ディズニー
ランド周辺では「液状化現象」と、衝撃的な映像が流されているが、
もっとも衝撃的だったのは、岩手のヘリの映像だが、走っている
トラックが津波に飲み込まれる様子がオンタイムでOAされたことだ。
妻は麹町から1時間半かけて歩き、我が子とともに事務所に来た。
地下鉄は全線でストップし、渋谷の駅は人が集まり始めている。

(画面はTBSより)
いつものように徒歩で帰宅を始めるが、公衆電話には長蛇の列、
コンビニにも人が群がっている。また、食べ物屋など主だった店は
早々と閉店していたのが印象的だった。今夜は金曜だというのにだ。
そして明治通りは渋谷から新宿へ向かうのだろうか、大勢の人が
どんどん歩いていた。地下鉄の入り口はシャッターが閉められていた。

気象庁は、今回の地震のマグニチュードを8.8と、国内最大と
伝えている。余震は断続的に続いている。
被害はこれからますます拡大し、詳細が明らかになるとともに
緊張の日々はしばらく続くに違いない。
ひとまず、深刻な被災をされた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。
花粉だらけだ。(03/10) 
2011/03/10 Thu. 22:00 [edit]
すでに起きたばかりなのに目はかゆいわ、鼻水は出るわで大騒ぎ。
私がくしゃみをすると我が子は
「ぱぱ、だいじょうぶ?ぼくがついてるからね」という。
おかしくて笑ってしまうのだ。
さて我が子を保育園へ送って一枚。

我が子が通う保育園は老朽化のためこの春移転する。
すでに新しい保育園は出来上がっている。ここに通うのもあと少しだ。
私は珍しくワークアウトへ。こんなに間隔を詰めて通うのも久しぶり。
テラスからの眺めもさわやかだ。花粉さえ飛んでいなければ。

ラストのトレッドミル(ランニングマシン)30分をカットして、
そのほかはフルトレーニング。Tシャツを着たときの逆三夏ボディ
を目指すのだ。いひひ。

その後、事務所用品などの買い物や金融機関をめぐりながら事務所へ。
買ってきたホットサンドで食事をしつつ、事務仕事。
電話が良く鳴る。ナレーションが2件オファーあり。
予定はOKで即決。毎度ありー。

そのほかの業務もおおむね何とか進んでいる。
明日は出張あり、なのだ。
夕方、移動して中目黒方面へ。
昨年収録した「マ○○ロソ○ト」のナレーションで改訂が発生
とのこと。収録を終えてやがて半年だが、このような改訂は、
たまに起こることがある。

なんせ「でかい」会社だ。私が読んでいるのはもちろん日本語の
ナレーションだが、制作会社の社長によると、海外の、それも
とんでもない国から発注があったりするらしいのだ。
今回の改訂は台湾から、次のオファーはインドから。と言う具合だ。
「セイイチロウでおねがいしたい」と言う内容で発注があると
その社長は教えてくれた。私の声が出回っている証だ。
国内でももう少し出回らせて欲しいものだ。
収録は7~8箇所の再収録ですぐ終了。お疲れでしたー。

余りにも早く終了したので、再び事務所に戻ると取締役の妻が
仕事していた、じゃあ一緒に我が子を迎えに行こう。
帰宅して、準備して3人で晩御飯。これが一番だ。
さて、コント55号の坂上二郎さんが死去した。76歳。
ほぼ私達の親の年齢だ。複雑な思いと共にまた昭和が1人逝く。
子供の頃、随分テレビでコント55号を見たものだ。
坂上二郎氏に合掌。
明日も私と我が家と弊社は通常営業です。
物思いつつ、事務所で過ごす。(03/09) 
2011/03/09 Wed. 23:00 [edit]
しかも、儲かるのであればいいが、このご時勢、
そんなにうまい話はない。
事務処理をこなしながら午前中はすぐに過ぎる。
昼飯何にしようかと思いつついつもの喫茶店へ。
新メニュー登場だ。

ハンバーグサンド。結構美味かった。
今後の仕事や業務のこと、家のこと。
考えて、実行して、処理しなければならないことが山積だ。
やはり年度末はいろいろなものを始末しなければならない
月のようだ。
そんな中、アメリカからは沖縄県民が「ゆすり・たかり」の
ように言われ、民主党の土肥隆一衆院議員は、韓国でこともあろうに
日本政府に竹島の領有権主張の中止を求める共同宣言に署名した
というではないか。
馬鹿か、この人は。と本気で思う。
民主党で大丈夫か?この国は。
菅さんも突然政権を投げ出しそうな気がする。
そうなると解散総選挙になるだろう。
外野からあーだこーだ言うのは簡単だが、実際にやってみると
大違い、というのは良くある話だ。
例えて言えば会社と組合の労使交渉然り。
私も以前居た会社では労組に加入していたが、地元の他局の
話として面白い話を聞いたことを思い出した。
組合が余りにもうるさいので、その局のたたき上げの社長は
一言、こう言ったそうだ。
「じゃ、社長を交代しよう。君達の中でやるものはいるか」
組合員は何も言えなかったそうだ。
会社の肩を持つつもりでこの事例を出したわけではないが、
野党としてピーチクパーチク言っていたほうが楽だったんじゃ
なかろうか。もちろん今回の話はそんな簡単な問題ではない。
早い話が「売国」だ。世が世なら「売国奴」として酷い目に
あわされてもおかしくない話だ。
政倫審の会長を辞任するくらいで収まる話なのか疑問だ。
マスコミの扱いが小さいと感じるのは私だけだろうか。
問題含みの世の中を生きていく私達現役世代も、これからを
生きる我が子たちの世代も、大変そうだ。
忙しくても、ワークアウトする。(03/08) 
2011/03/08 Tue. 23:00 [edit]
実はこのところの飽食が祟ったのか、体重が増えていたのだ。
こうなるともうストレス。
なんとしてでもワークアウトに行きたいのだっ。
すっかりワークアウト中毒。

我が子を送ってそそくさとジムへ。
きちんとやっていないと体がついていかない、と言うこともある。
何事もリズムなのだ、
午前中みっちりワークアウトして、午後はしっかり事務所へ。

雨は降っていないが、寒いし花粉は飛んでいる。
参った参った。
参ったと言えば、菅政権は年金保険料の問題でごたごたしている。
私は自営なので「3号」になるが、1号や2号の人たちは、お役所が
勝手に切り替えてくれると思っている。
かつての私もそうだった。
面倒なことはみーんな総務がやってくれていた。
しかし役所は絶対に教えてなんかくれない。
税金も取るときは勝手に取って、還付するときはこちらが申請しない
と返してくれないのだ。
かつて私に「税金は一方通行なんだよ」と変な説教を垂れた
八王子市役所の納税課長の言葉を思い出す。
国会で議論するのも大事だが、行政もサービス業だ。
一方通行ではなく双方向にして欲しいし、正直に申請した人が
馬鹿を見ることが絶対にないようにして欲しい。
いや、してもらわないと困る。
民主が民主がと騒いでいるが、その大元は自民党政権の時からの
「ツケ」であることも事実だ。
一刻も早く国の運営を正常化させないと、国際的に見ても
おかしなことになってしまうと思う。
色んなことを考えながら、仕事来ないかなーと思って事務所で
事務作業をしている私だった。
午前は雪、終日厳冬。(03/07) 
2011/03/07 Mon. 22:30 [edit]
送って事務所に入ってすぐに雪に変わった。寒いわけだよ。

きょうは特に外出の予定もない。終日デスクワークで過ごす。

事務所は当然エアコンがあるから温かいが、ちょっとでも扉の外に
出ると、冷気が入ってくる。こりゃ本格的に寒い。
予定を確認。実働は暇だがやることは5人前くらいある。

ニュースを見ていたら、皇居が雪で真っ白になっていた。
夜も関東平野部では雪の恐れありと。困るなー。

(画面はTBSの昼ニュースより)
さて、最近何だかお腹が減る。
きょうはいつものホットサンドではなく、ロースカツ弁当にした。
寒いのでカロリーの高いものを、と思ったのだが、そこまで気にする
必要はなさそうだ。久しぶりに美味い。

午後はNTTと打ち合わせ。
増床事務所と現事務所の電話の更新と新設について、現状を確認して
工事日を迎えるのだ。特に問題はなさそうだ。

きょうはほぼ定時に終了。
親子3人で帰宅、食事。
アルコールが入るとすぐ眠くなるのは私だ。
明日も何かとありそうだ。おやすみなさいっと。
ひたすら、移動日。(03/06) 
2011/03/06 Sun. 23:00 [edit]
いつもは5時過ぎの起床だが、6時半過ぎに目が覚めた。
気持ち日の出が遅いのだ。

部屋で朝食を食べ、おみやげ物を見ていろいろ購入。
ここは本当に居心地が良かった。また来よう。

さて、来るまで走って昼食の時間。
今回、会えるかどうか分からなかったが、多分ここだろう。
と思って来た場所がある。昼食もここだ。
二条城のすぐ前のホテルだ。
以前ホテルフジタ京都で親しくしてもらった皆さん、とりわけ
ベテランのドアマンの男性がその後どうなったのか気になっていた。
本来であれば営業終了前に行く予定だったのだが、我が子の体調不良で
結局そのときは中止にしたのだ。
系列のホテルがあることは知っていたので、昼食を頂いて散策しようと
言うことにした。車をメインエントランスに入れると、居た。
あのドアマンだった。
再会を喜び、挨拶をして、また来ることを伝える。
顔見知りになると、そこに行くことも楽しくなるものだ。
ドアマンの名前は「ナカジマ」さんという。
嬉しそうに食事に行く私達の後姿を見送ってくれた。
訪れたのは開業50年を迎えた歴史あるホテルだ。
ラウンジや洋食のレストランからは池を望み、穏やかに時が流れている。

時間なので食事にしよう。
和食のレストランはさすが日曜の昼だ。ほぼ満席だ。
お味は。。。

京都は、食に関して言えば「外れなし」なのだろうか。
それとも出身が東日本ではない私達の舌がやはり西向きなの
だろうか。美味しかった。
サービスをしてくれた女性が話しかけてきた。
「あのーお客様は以前何度もホテルフジタ京都にご滞在でしたよね」
顔を見ると、ベルの女性スタッフだった。
しかし良く覚えているものだと感心する。
確かに私の顔は一度見たら忘れられないといわれることは一度や二度
ではないが、私達もそうしょっちゅう京都ばかり行っている訳ではない。
それでも覚えていてくれるスタッフがいるということは嬉しい。
聞けば以前のスタッフはほぼこちらに異動してきているとのことだ。
彼女の場合はレストラン経験があったので和食レストラン勤務と
なったとのこと。いずれにしてもこの厳しい時代に良かった、と
他人事ながら安心した。
「オノエ」さん、覚えていて下さってありがとう。また来ます。
次回からはプリンスと併用して滞在しよう。
13時前に京都に別れを告げて、一路東京へ。

次回は3ヵ月後か、半年後か。
また垢を落としに来ることになるだろう。
出発時間が午後だったので、到着予定は19時過ぎ。
ところが東名は渋滞で30㌔つながっていることが判明し、予定を
変更して御殿場から中央に乗り換えた。

結局こっちも談合坂で事故渋滞。
仕方が無いので富士宮焼きそばでも食べようとSAに寄ったら
「売り切れでーす」
仕方ないか。
結局帰宅したのは21時半ころだった。
我が家の休日は移動に始まって移動で終わった。
でもこれでいいのだ。色んな目的はほとんど達成した。
明日からまた頑張るぞぉ。
京都の旅ではない旅。(03/05) 
2011/03/05 Sat. 23:00 [edit]
そのまま寝て、2時半過ぎに起床。
以前から計画していた京都行きなのだ。早ぇ。

まだ夜中の都内を抜けて東名を走ること2時間弱。
ちょっと休憩で立ち寄ったSAで夜が明けた。
まだまだ先は長い。私にとっては「修行」のような旅だ。

午前7時過ぎ。休憩で立ち寄ったSAにスタバがあったので
サンドイッチをコーヒーで流し込む。我が子はドーナツをパクパク。

ほぼ予定通りの正午前、京都(とはいってもかなり中心部からは離れる)
の目的地に到着。今回の目的は何か。
と言うほどでもないが、神頼みだ。参拝。

私達が夫婦で、あるいは会社で参拝をしているところはあちこちに
あるが、ここはとりわけ良く来る場所だ。

日ごろの欲にまみれた垢を落として、リセットするのが目的でもある。
そして今回増床にこぎつけた事務所などの入手御礼などなど。
参拝前に境内で買ってきた弁当を広げ、神主に祝詞を奏上していただき
巫女さんの舞を観て、本日の主な目的は終了。
後は裏山に登って思う存分、いい「気」の中に身を置いて、その
いい気だけを持ち帰るのだ。

(海派の我が家だが、ここは別格。素晴らしい場所だ)
さて、きょうは京都市内に滞在だ。
我々が定宿にしていたホテルフジタ京都が営業を終了したので
以前一度滞在したことがある「プリンス」へ。

この時期は比較的のんびり滞在できてかなりお得。
それに部屋が広くて綺麗なのもポイントが高い。

楽しみなのは食事だ。(旅番組みたいだが)

京料理は明日の昼食に予定している。今夜は思い出のフレンチだ。

宿泊者優待メニューだ。フルコースを食べるほどではない。
メインは肉か魚のどちらかで充分。と言うときにピッタリ。
量も値段も満足。
ここの思いでは、一年半くらい前に滞在したとき、我が子と共に
訪れて、我が子がここのコーンポタージュスープを飲み干して
我々も驚いたことだ。
期せずして我が子のフレンチデビューはこのレストランとなった。
そんな我が子も今は。。。

「スープはズルスルしちゃいけないんだもんねー」などと
いいながら飲むようになった。
メインは私はマスタードソースと赤ワインのソースで頂くフィレ肉。
妻は魚、我が子はハンバーグとエビフライのお子様セットだ。

美味しかった。満足だ。
ここに来るまでいろいろあったが、やはり来て見るものだ。
部屋でちょっと飲んだら睡魔が襲ってきた。
我が子はほったらかして、寝る。
明日は終日移動だ。
余裕なし。(03/04) 
2011/03/04 Fri. 23:00 [edit]
我が子の保育園送りも中止。
そのまま事務所入り。
今日から増床中事務所の工事着工だ。
朝から業者さんが来て諸々打ち合わせ。
そのまま仕事に突入。
メール連絡を捌きながら昼食は事務所買い置きのカップめんで。
金融機関から連絡。緊急対応をしつつ、大手通信業者とも打ち合わせ。
きょうは事務所によく人が来る日だ。
結局21時半まで残業。

事務所の入り口には業者が施した養生シートが。
完成が楽しみだ。
明日は何処に行くのだろう。
そうだ、京都に行くかも。
多忙なり。(03/03) 
2011/03/03 Thu. 23:00 [edit]

ホテル好きの我が子は「きょう、ほいくえんいくの」などと
言っている。あたりまえだろー。
朝食の後、早めにチェックアウト。
妻の出勤時間が早いので必然的に。
たまには弊社のスケジュールで動きたいものだ。
今月中にもう一回来られるだろうか、赤プリ。

今月一杯で終了、と言われると、また来たくなるのは人情だ。
何か用事ができればいいのだが。

我が子と保育園に向かう道はかなり寒かった。
いつもより40~50分遅れて事務所入り。

事務処理諸々、電話やメール連絡諸々。

昼は久しぶりに喫茶店のホットサンドを。

夕方には来客あり。別事業が活発だ。
仮の見積もりをもらって1時間近く取締役の妻と共に説明を受ける。
今後の方針を決めなければならない。
業務はほぼ定時に終了。
帰宅、食事。最近はアルコールが入るとすっかり眠たくなる。
もー寝よう。
きょうは挙式を上げて10年目なのだが、そんな感傷に浸っている
暇もなく毎日に追われている。
明日も定時だ。
ワークアウト、出来るかなぁ。
息抜き過ぎ?(03/02) 
2011/03/02 Wed. 23:00 [edit]
いつものように我が子を送り、事務所へ。

月末締め作業の続きを粛々と。
処理数が多くてなかなか終わらないのだ。
あと一息。

さて、きょうはきょうで、また「息抜き」なのだが。。。
今月で営業を終了する赤坂のホテルへ一泊。

高層階からの眺めはやはり最高だ。

仕事を終えた妻と我が子をピックアップして部屋へ。
我が子は「きょう、ほてるとまるの?」と聞いてきた。
「そうだよ」と答えると「やったぁ」と喜んでいる。
本当に我が子はホテルが好きだ。
さて、私達が宿泊している「グランドプリンスホテル赤坂」は
開業55周年だそうだ。見下ろす景色には衆参両院議長公邸が
見える。なんと贅沢な敷地と建物か。
政治家のみならず、社用族の皆さんも利用した方が多いだろう。
ここ数年、赤プリユーザーとなった私達家族だが、ここからの
眺めはもちろん、ホテルとしての使いやすさが気に入っていた
ので本当に残念だ。
車を駐車場へ停めて宴会場を通ってフロントへ行く途中、
宴会場には「加藤茶様芸能生活50周年記念パーティ」とあった。
昨日ここで盛大にパーティが開かれたに違いない。
そういえば昨日だっけ、ドリフをテレビでやってたなぁ。
加藤茶さんとはグアムのDFSでお目にかかったことがある。
我が子がよちよち歩きの頃、加藤さんめがけて突進していったのだ。
「小さいと、大変だね」と加藤さん。その節はご迷惑をかけましたー。
さて、ホテルのロビーには55年の歴史がパネルなどで展示されていた。

やはり50年を超えると言うことは、それなりに歴史を感じる。
惜しい、本当に惜しいなぁ。
ここでホテル内のレストランをほとんど使わない。
食事は全てルームサービスをお願いする。
景色を楽しみながら食事をするのが我が家流だ。
きょうも我が子が好きな「エビフライ」を中心に。

しかしなんということか。
我が子は今夜はエビフライの気分ではなかったようで。
とにかくビール、ワインを楽しみながら赤坂の夜は更けるのだった。
息抜きすぎ、ですかねぇ。